Conclusive
2021/02/24
決定的な、 最終的な
- Martian landslides not conclusive evidence of ice
(火星の地滑りは氷の決定的証拠ではない)
– - X report fails to offer conclusive evidence
(Xの報告書に決定的証拠の記載なし)
–
- Conclusive evidence leads to arrest for 2018 rape
(2018年暴行事件の逮捕に至る決定的証拠)
–
- No conclusive evidence that death penalty has deterrent effect
(死刑が抑止効果をもたらす決定的証拠なし)
–
- Conclusive Evidence the 9/11 Planes were NOT REAL
(同時多発テロの飛行機が本物でなかった決定的証拠)
鮮烈な印象で、たちまち人目を奪う5文。
すべて先月2019年10月発表の記事見出しである。
それぞれ参考和訳を添えてみた。
心に響く明瞭さを際立たせるのが、” conclusive evidence “。
「 決定的証拠 」の意。
【参考】 “smoking gun”
英文を読む目が素早くとらえる “ conclusive “。
日本語ネイティブの目に飛び込む「 決定的 」。
どちらも確固たる存在感を放つ。
–
–
どうや!
–
◆ “conclusive” の定訳は、「決定的」及び「最終的」。
【発音】 –kənklúːsiv
【音節】 con-clu-sive (3音節)
“conclusive” は、形容詞。
「決定的」と「最終的」は、形容動詞。
形容動詞(けいようどうし)とは、日本語の品詞のひとつ。
国語辞典などでは、「形動」と略記する。
英訳は、“adjective verb”。
形容詞 “adjective” + 動詞 “verb” で「形容動詞」。
この額面通り、形容動詞は形容詞に重なる要素が多い。
形容詞との最大の違いは、次のような「活用」にある。
- 形容詞 → 「~である」をつけることができない
【例】 × 「小さいである」 × 「臭いである」
– - 形容動詞 → 「~である」をつけることができる
【例】 〇 「決定的である」 〇 「最終的である」
※ 文語由来の「タルト型活用」を除く(命令形「~たれ」など)
日本語教育では、形容詞は「イ形容詞」、形容動詞は「ナ形容詞」。
名詞を修飾する際、その直前が各々「い」、「な」になるため。
- 形容詞 = 「イ形容詞」 = 「イAdjective」 = 「イA」
【例】 「小さい靴」 「臭い靴」
– - 形容動詞 = 「ナ形容詞」 = 「ナAdjective」 = 「ナA」
【例】 「決定的な証拠」 「最終的な証拠」
「形容動詞」全文である。
『日本国語大辞典 第二版』第4巻、p. 1288、
小学館(2001年刊)より転載
「形容詞」全文は、”aware” 末尾に掲載中。
目を通しても意味不明。
そもそも「形容動詞」なんて聞いたことない。
こんな風に感じたら、日本語の基礎文法が分かっていないかも。
- 英語の「 形容詞 」は勉強していても、
国語の「 形容動詞 」を知らない。
– - OED( “ Oxford English Dictionary ” 第2版、全20巻 )は耳にするが、
日国( 『 日本国語大辞典 』第二版、全13巻+別巻 )は一向に不知案内。
日本の義務教育では、英文法を基礎から丹念に教える。
片や母語の文法はおざなりの感がある。–
なんだか惜しい。
–
–
日本語能力を育んだ上での英語教育
盤石な母語あってこその「 バイリンガル 」
–
この点をきちんと理解しないと、とんでもない事態を招く。
◇ 『 日国 』 と ” OED ” は入手済み → 辞書の「自炊」と辞書アプリ
–
–
◆ これから、しばし話が脱線する。
ご参考までに、体験談をご紹介してみたい。
先日(2019年11月1日)、土壇場で導入延期された大学入試用
の英語民間試験にも関連する。
「上から目線」に注意しながら、私の見解を述べる。
過去40年余りで、日本語の読み書きに苦労する帰国子女や
インター出身者の大勢(3桁)と接してきた。
悲惨に尽きる。
れっきとした日本人なのに、読み書きに相当問題がある
せいか、陰で「 変な外人 」呼ばわりされていたりする。
“once and for all” より再掲。
職業柄、外国生まれの日本人と関わる機会が多い。
–
日本語で正規の教育を受ける機会のほとんどなかった方は、
日本語の日常会話に(一見)不自由はなくても、
和文を書くことが苦手なケースが大半である。
–
例えば、日本語の聞き取りを「ローマ字」で書き取る。
–
日本語をペラペラ話しているように見えるのに、
自分の話している日本語を「ひらがな」「かたかな」
で書き起こせない。
–
漢字については言わずもがな。
–
和訳も難ありで、口頭で一通り和訳できても、
それを文面に落とすことができなかったりする。
和文を読み上げてあげると、立派な英訳に仕上げる。
にもかかわらず、その和文原文を、満足に読めない。
「 この人の頭は、どうなってるの … ? 」
間近で従事すると、良くも悪くも驚く。
在外教育施設(日本人学校)の先生方と話すと、
似たような話で持ち切りになる。
–
素人目には奇怪に映るが、決して珍しくない事例。
このような有様を「 バイリンガル 」と称せるか。
–
◆ どの言語習得も不十分で、運用能力が欠如した状態を、
「 セミリンガル 」または「 ダブル・リミテッド 」という。
- 接頭辞 “semi“(半)+ 形容詞 “lingual“(言語の)
- 形容詞 “double“(2重の)+ 形容詞 “limited“(限られた)
日本語も英語も、そこそこできる。
けれども、聞く・読む・話す・書くの4技能が、どれも中途半端。
そのため、渡世に通用しない。
そうした生徒さんの作文を引用する以下の記事を、ぜひご覧に入れたい。
【参照】 – ※ 外部サイト
- 母語を学ぶことと外語を学ぶこと
http://qianchong.hatenablog.com/entry/2014/08/02/000000
2014年8月2日付
–
◆ 職場であれば、日本語ネイティブに陰口をたたかれ、
邪険にされても致し方ない。
仕事がやたらと増えてしまうからである。
一緒に働くと、その厄介さがよく分かる。
繁忙期には、とりわけ頭にくる。
– いい年して、なに学んできたんだよ!
– でもきっと、ご本人のせいだけでない。
– たぶん、環境にも問題があったのだ。
同情するとはいえ、後の祭 に近い。
残念ながら、改善は現実的に困難。
–
努力できる方なら、社会に出る前に手を打っているはず。
さらに、海外を拠点にして働く選択肢もあったに違いない。
そうしないのには、訳ありの事情が潜んでいる模様。
言葉の面にとどまらない、基礎学力の不足 が典型例。
憶測にすぎないとしても、ともに働けばおおよそ見当がつく。
もし、一生が左右されるとすれば、酷なものだ。
「 言語獲得の 臨界期( りんかいき )」、
” the critical period of language acquisition ”
の存在をふと思う。
–
◆ 周囲のモノリンガルの英語ネイティブが、こうした問題
に気づかないことは、ままある話。
それをよいことに、真っ当な「バイリンガル」になりすます、
詐欺師顔負けのしたたかさを発揮する輩も見かける。
日本人の同僚を一層怒らせるのは、言うを俟たない。
※ 日本社会で目につくのは、逆パターンの「 英語ができるふり 」。
私の知る限り、「本物の」バイリンガルたちは、総じて勉強熱心で、
努力してきている。
語彙運用の奥深さに知悉しているゆえ、謙虚に学び続けている。
–
◆ 敬語がおぼつかなければ、日本人顧客の対応は任せられない。
–
辛うじて電話応対はできても、ビジネス文書を独力で書けない。
となると、一人前の社会人としての成果は、ほぼ期待できず。
結果的に、「 変な外人 」扱いされても不思議はないのである。
極度に中途半端なちゃんぽんより、モノリンガルの方がベター。
既記の「セミリンガル」、「ダブル・リミテッド」の果てしない悲哀を
目の当たりにしてしまうと、こう思わざるをえない。
2021年現在、実社会の各種手続きは、国際的に見ても、
手堅い文書主義(電子文書含む)が、依然として顕著。
–
–
◆ 世間一般の想像以上に、
母語は思考の根幹をなす。
人間は言語を用いて考える。
「 思考の土台 」は、自然に習い覚えた第一言語、すなわち母語。
もっと日本語を大切にしなければ、と強く願う。
–
【参照】 – ※ 外部サイト
- 読み聞かせは母語を優先するべき
https://toyokeizai.net/articles/-/386630?page=3
2020年11月11日付
– - 英語が苦手な人ほど 「実は日本語が残念」 な現実
https://toyokeizai.net/articles/-/386666
2020年11月7日付
– - 日本人の英語力強化に必要なのは入試改革だけじゃない
https://www.newsweekjapan.jp/tokyoeye/2020/01/post-7.php
2020年1月9日付
– - 9時10分前を理解できない若手を生んだ日本語軽視のツケ
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00049/
2019年11月19日付
– - 英語教育に罪なし。–日本語力のない日本人に英語が身につかない訳
https://www.mag2.com/p/news/424223
2019年11月14日付
– - 子どもの英語力を削ぐ「会話力重視」教育、入試改革よりも深刻!
https://diamond.jp/articles/-/219125
2019年11月1日付
– - 日本人の3人に1人は日本語が読めない説
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00073/101000002/
2019年10月16日付–
–
- 「英会話時代」という狂奔を前にして
http://qianchong.hatenablog.com/entry/2018/11/15/130447
2018年11月15日付
– - 「話すこと」を重視しすぎた英語教育の末路
https://toyokeizai.net/articles/-/226547
2018年6月26日付
– - 日本育ちの子をインターナショナルスクールに入れるのは愚の骨頂だ
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/54131
2018年1月16日付
– - 「セミリンガル」だった渡辺直美が激白する努力の道のり
https://numero.jp/michiemito-47/
2017年12月14日付
– - 日本の親が気づけない「子供をバイリンガルに育てたい」の危険性
https://www.mag2.com/p/news/258746
2017年7月28日付
– - 外国人に日本語教育を、ダブル・リミテッド防げ
https://business.nikkei.com/atcl/report/16/021900010/022300036/
2017年2月24日付
–
◆ 現場の実態をよく知らない、一部の学者・教育者が、
無責任な邪論を垂れ流している傾向がみられる気がする。
殊に、脳科学者の 茂木健一郎 氏(1962~)のバイリンガル教育
の考え方には、危険な論説が少なくないと私は考えている。
この方の英語学習法は、概ね有益と感じるのだが、幼少期の
英語教育となると、一転して重大な疑問点が浮かび上がる。
いい加減な発言の代表例は、以下の通り。
–
- バイリンガルの子も「日本語は日本語」「英語は英語」と
文脈で判断して 瞬時に切り替えられる ので 最終的には混ざりません。
だから「子どもをバイリンガルにしても 何の問題もない 」
というのが 脳科学的な見解ですね。
–- (「英語をやると日本語ができなくなる」
といった理論に対し)
その心配はないでしょうね。世界を見渡してもバイリンガル環境
で育つ子どもは ごくごく普通にいる でしょう。 https://president.jp/articles/-/27362?page=4
茂木健一郎 ” 日本人が英語を話せないワケ ”
2019年1月24日付
–※ 太字・ハイライトは引用者
–
もう無茶苦茶で、嘆かわしい。
「 脳科学的な見解 」 ?
過度に一般化していないだろうか。
セミリンガルの苦難と痛ましさを、常日頃から肌で感じ取る立場にいる
当事者であれば、思わずのけぞりたくなるくらいの暴論であると考える。
怒りすら覚える。
◆ 思うに、英語の不得手な日本人が数多い主要因は2つ。
1) 言語的に完全に別物の日英
2) 日本語のみで支障ない日常
–
英語教育の内容の良し悪しではなく、上記2つが 根本原因。
–
教育はきわめて大事だが、問題の根源はそこにはない。
よく聞く「 受験英語の弊害のせい 」とも、私には到底思えない。
こんな皮相浅薄な論調が、平然とまかり通っているのが信じがたい。
–
ラテン語・ギリシャ語などを語源の柱とする印欧語族では、
英語学習上の手掛かりを、母語から豊富に得やすい。
「印欧語族」 = インド・ヨーロッパ語族(the Indo‐European languages)
- “French and English are the Indo‐European languages.”
(フランス語と英語は印欧語族である。)
画像の拡大
–
【出典】 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)の解説より
他方、日本語ネイティブの場合、糸口を得られる機会が極端に少ない。
言語系統が別次元なので、アルファベットの書き方から学ぶことになる。
日本語は、3重表記(ひらがな、かたかな、漢字)。
文字表記はおろか、発音・音節・文法・語順 にも共通点は見出しにくい。
見事なまでに重なり合わない、と言っても過言ではない。
類似点すら、ないないづくし。–
–
◆ おまけに、英語もじりの和製語が無数定着した挙句、混乱を招いている。
和製語はユニークな傑作が目立つものの、英語学習中は邪魔になりがち。
大意をつかむ上では確実に役立つ外来語とはいえ、いざ英語に適用しようと
すると、大づかみの事前知識の存在が、かえって難易度を上げる印象がある。
発音と音節についても同様で、音節の日英比較は ” integrity ” に記した。
ざっくりと意味を把握しやすい特長は便利であるが、両言語間の文法
の壁を乗り越える力量に欠けるのが、一般的なかたかな語と考える。
–
両言語の性質上、不利な条件が ずらり勢揃い
英語能力の国際比較に一喜一憂した挙げ句、
教育や入試の中身ばかりに責任を帰する姿勢を改め、
我が国特有の背景と不都合な側面を再検討すべきである。
日本語母語話者が、宿命的に課せられた立ち位置
を深掘りすることなくして、英語教育の議論は進まない
と考える。
※ 日本語母語話者 = 日本語ネイティブ
■ 母語が日本語だと、英語習得のハードルは恐ろしく上がる
–
日本語の起源は、今なお解明されておらず、孤立言語とされる。
【参照】 英語は、5世紀のドイツ語の方言 ※ 外部サイト–
英独仏を含む印欧語族に、縁もゆかりもないと論証されている。
–
◇ 言語間の本質的な違いを、しっかり認識することが肝要
–
印欧語族向けの語学力の国際指標 「 CEFR(セファール) 」
を、日本人学習者にそのまま当てはめる無謀さが情けない。
【参照】 – ※ 外部サイト
–
・ CEFRとの対照表 ( 文部科学省 )
・ CEFRと言語レベル / 動画 ( ブリティッシュ・カウンシル ) 5分29秒
–
大雑把に、印欧語族の英語とドイツ語を「 兄弟 」に例えると、
孤立言語で身元不明の日本語は、さながら「 宇宙人 」。
–
「 兄弟 」と「 宇宙人 」を単純比較できるか
異質すぎるわ
–
Disparity between English and Japanese
–
–
一方、中国人には英語堪能な方が多いとの反論がある。
確かに、中国語は日本語と同じく印欧語族に属さない。
–
しかし、日英に比べれば、文法と語順が似通っていることは検証済み。
中国語(Mandarin)を大学の第二外国語で学んだ際、自ら実感した。
–
◆ 英学界の巨人、斎藤秀三郎(1866-1929)いわく、
- ” English, though a comparatively easy language,
is far from being so to the Japanese student. ”
( 英語は比較的平易な言語であるが、日本人学習者に
とっては、平易から程遠い。 )
– - ” a pronunciation wholly alien to that of his mother-tongue ”
( 母語の発音に対し、完全に異質な発音 )
–
p. 5 “PREFACE”
『 正則英文教科書 第4冊 ( 第4学年用 ) 』
斎藤秀三郎 (著)
興文社、 1908年刊
◆ 加えて、歴史的な影響も見逃せない。
欧米列強に植民地化されていた旧植民地の国々とは、
歴史も人口規模も大きく異なる。
その上、地理的に孤立した四囲環海の島国なのが、国土の特色。
有史以来、植民地化されていない日本は、一般的な国民の
日常生活に、外国語が必須となる契機が発生しなかった。
また、出生率低下により、人口減少の局面に入ったといえど、
総人口は1億2600万超で、世界第10位 を誇る(2018年)。
【出典】 総務省、 世界銀行、 国連世界人口白書2019
–
- 日本の教育人口も教育支出も、小ぶりな国とは桁違い
- 明治から150年以上、堅実に積み重ねてきた教育制度
→ 英語教育の施策や成績も、本来は同列に論じにくい
–
【参照】 – ※ 外部サイト
日本の英語力は非英語圏で53位 韓国や台湾、中国にも後れを取る
2019年11月9日付
–
◆ 身内に英語ネイティブがいたり、職務上、英語が日々必要な方々は、
国民全体から見れば少数派。
諸説入り乱れる小難しい歴史話を抜きにしても、事実として、
これまでそうだったし、これからも大して変わらないであろう。
大多数を占める水準には、今後も至らないと私は推断する。
大半の日本人にとって、受験・資格・趣味 に関係するだけ。
それが「 英語の位置づけ 」。
この程度では、日本人全般に 有効な学習動機 にはなりえない。
人生には、制約要因が付きまとう。–
–
時間・資力・体力をはじめ、リソースには限りがある。
無論、寿命も含まれる。
自分の生活に不可欠となれば、優先順位 は上がるが、
なくてもさほど困らないものに、あえて投資しない。
これが、一般人の合理的な判断であろう。
要は、生存戦略上、絶対なくてはならないものではない。
「 受験・資格・趣味に関係するだけ 」の英語の優先順位が、
日本人の生活の中で真に高まる時代は、
ついぞ訪れなかった。
日頃、自ら使う場面がめったに生じない
のだから、英語が身につくわけない。
使える英語をものにしたければ、英語を使わざるをえない
環境に我が身を置くこと。
おそらく、どんな言葉でもそういうもの。
言語習得の決め手は、持続性。
一度学んだら終わりではなく、使ってなんぼの世界。
期間限定の学校教育と異なり、日常生活は恒久的。
人生とは、日常の連続に他ならない。
英語なんぞ使わなくても、普通に生きていける日本国民の
「合理的な判断」に基づく成り行きが、現状の英語レベル。
文部省(当時)が、1989年から推し進めた
「 コミュニケーション重視の英語学習指導要領 」
は、こうした環境下では形無しに等しい。
- 基本、相手があっての意思疎通と情報伝達
- 一体、誰との会話を想定しているのかしらん
- 普段、使わずじまいのコミュニケーション ?
【参照】 – ※ 文部科学省 公式サイト
『 平成30年改訂の高等学校学習指導要領に関する Q&A
< 外国語に関すること > 』
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs
/qa/__icsFiles/afieldfile/2019/11/18/1422433_001.pdf
とにかく、教育内容の問題よりも、原因はずっと簡単。–
幸か不幸か、
■ 使わなくても、普通に生きていけるから、英語ができない
これぞ、2つ目の根本原因。
–
◆ 英語は、もとよりコミュニケーションの道具。
–
受験や資格の目的手段に用いるために、存在するものではない。
こういう食い違いからして、教育の在り方に仄暗い陰りが宿る。
人間と情報をつなぐ単なるツールが英語。
通常、堅苦しく気張らなくてもよい対象。
英語に親しむと、英語圏の硬軟自在な情報にアクセスしやすくなる。
出会いと可能性が地球規模で増すこともあり、人生が彩り鮮やかに。
インターネットが普及し、古今未曾有の度合いで身近に迫る世界。
英語発の情報を自ら取り入れられれば、この世を見る目が変わる。
【参照】 「自分の世界」が広がる英語、 学びと動機と
–
◆ ところが、我が国では「 英語 → 受験勉強 」と根を下ろした。
点数で合否が判定される、つらくしんどい蛍雪の勤め。
上述の日本の歩みに従った首尾として、不可避の限界 と考える。
◇ 独立を貫き通した日本は、その独自の地歩に強みを持つ反面、
いかなる英語教育を施しても、不自然さに突き当たってしまう。
–
◆ このような特性を加味した英語教育に欠かせない視点がこちら。
全国津々浦々の実態を掌握の上、未来への展望を勘案し、
◇ 的確な落とし所 を見出し、焦点を絞った 英語教育
「 これだけ押さえれば意思疎通は可能 」な枠組みを明確に示すこと。
–
受け手(聞き手・読み手)にどうにか通じれば、「 自信 」と「 喜び 」につながる。
「 自信 」と「 喜び 」は、「 生きる力 」を生み出す。
学習指導要領で唱えるならば、こうして習ってもらえばよい。
–
–
◆ しかも、この種の「 自信 」と「 喜び 」が与える勇気は、若い人に限らない。
おじさん、おばさん、じいさん、ばあさんをも勇気づけるのが、意思疎通の達成感。
見知らぬ訪日客に、苦手な英語で道案内できた暁には、我を忘れて、ルンルン気分。
とても感謝される人助けであるため、「 生きててよかったな … 」と感じたりする。
両者ともども、必死に知恵を絞った末、終生忘れがたき出来事になりうるインパクト。
ことによると、日本の美点が拡散され、この上ない民間外交のきっかけにもなる。
–
–
◆ 際限のない英語学習なのだから、「 これだけ押さえれば意思疎通は可能 」な枠組み
のありかを見定めて、実行できるような体制を作ることこそ、為政者の課題なのでは。
- 公教育の場合、現実と巧みに折り合う見識 が、
なおさら問われる。 - なぜなら、国内の 地域格差と経済格差 に配慮
しなければならないからである。
“regional and economic disparities”
“geographical and financial disparities”
(『毎日新聞英語版』や “Japan Times” などの使用語)
・ https://mainichi.jp/english/articles/20191028/p2a/00m/0na/013000c
・ https://mainichi.jp/english/articles/20191101/p2a/00m/0na/002000c
・ https://www.japantimes.co.jp/news/2019/11/17/reference/outsourcing-english-tests
実に難問だらけだが、灯台下暗しに知らんぷりのまま、
高遠な理想を掲げても、空転は必至。
今回の英語民間試験の見直しを迫る流れを導いたのは、
幼稚な憧憬を打ち破る力を擁した、現場の本気 である。
–
本当は、英語はめちゃくちゃ楽しいのに …
できるようになっていくうれしさは、半端ではない。
あたかも、大好きなペットと話せるようになる喜び。
経験すれば分かる。
ともあれ、「 英語 → 受験勉強 」で凝り固まってしまった
土壌が悲しい。
■ 英語に挫折したトラウマを抱える国民が数知れず
■ それどころか、過半を占める様相を呈している
■ 日本人に自信喪失をもたらしてきた英語教育
■ 「 教育 」の趣旨に反する、国民への裏切り行為
やり方が根本的に間違っている。
■ 日本人の活力を奪う、大いなる損失
なんとも歯がゆく、もったいない。
渦中の英語民間試験については、稿を改めて考察したい。
併せて、実現可能と考える教育方法を提案する。
【参考】 “hiatus”
–
–
◆ さて、表題 “conclusive” に話頭を戻す。
【発音】 –kənklúːsiv
【音節】 con-clu-sive (3音節)
語源は、ラテン語「閉じる」(conclūdere)の過去分詞形。
–
ここからできた語が、動詞 “conclude“。
【発音】 kənklúːd
【音節】 con-clude (2音節)
分解すると、
- “con” → 接頭辞 “com”「完全に(completely)」 の異形
- “clude” → “close”「閉じる(to shut)」と同義
- “conclude” → 「完全に閉じる」から「終える」の意
“conclude” は動詞のみ。
- 他動詞「完成させる」「結論する」「締結する」
- 自動詞「話を結ぶ」「結論を出す」「合意に達する」
「終える」の意味合いを保つので、割と分かりやすい。
“conclude” の重要度・頻出度は、取り立てて重要でも頻出でもない。
- 重要度:<3001~6000語以内>
- 書き言葉の頻出度:<1001~2000語以内>
- 話し言葉の頻出度:3000語圏外
形容詞 “conclusive” は、”conclude” から派生している。
よって、格下と推測できるが、実際に全項目ランク外。
- 重要度 :9000語圏外
- 書き言葉の頻出度:3000語圏外
- 話し言葉の頻出度:3000語圏外
いずれも、LDOCE6(ロングマン)の指標に基づく。
ただし、”conclusive” と “conclude” の両方とも、
<Academic Word List>(※)入りしている。
※ 英語圏の大学教科書の頻出単語570語
おびただしい英単語の中では特筆に値しなくても、
教育・学問分野でそれなりに使われていることを示す。
そうでなければ、弊サイトでは取り上げない。
–
–
◆ “conclusive” の位置づけは大したことない。
それでも、キーワードになりがちの形容詞である。
定訳の「決定的」「最終的」には既に触れた。
- “conclusive” → 英語の「形容詞」(adjective)
- 「決定的」「最終的」 → 日本語の「形容動詞」(adjective verb)
この辺りを説明した後、一気に脇道へ逸れてしまった。
–
今月2019年11月、英語民間試験延期の余波が連日報道された
ためか、想念がそちらに移ろい、”conclusive” は日々に疎し。
本筋から外れ、ぐるりと大回りしたが、読者様にとって
余計な寄り道であったとすれば、大変申し訳なく思う。
◆ 「決定的」「最終的」とあれば、日本語でも目を引く。
先に指摘したように、強い存在感は “conclusive” 同様で、
手早く結論を確かめる上で役立つ。
冒頭の記事見出し5本を、再度挙げる。
- Martian landslides not conclusive evidence of ice–
- X report fails to offer conclusive evidence–
- Conclusive evidence leads to arrest for 2018 rape–
- No conclusive evidence that death penalty has deterrent effect–
- Conclusive Evidence the 9/11 Planes were NOT REAL
すべて実物。
中級学習者の実力なら、ひと目で大意をつかめるはず。
“conclusive” を抜くと文意が変わるが、差異を把握できるだろうか。
–
◆ 仕上げは、3大学習英英辞典(EFL辞典)。–
要点にハイライトを引いた。
“conclusive”
- showing that something is definitely true.
OPP: inconclusive
(LDOCE6、ロングマン)
– - proving something, and allowing no doubt or confusion.
OPPOSITE: inconclusive
(OALD9、オックスフォード)
– - proving that something is true, or ending any doubt.
Opposite: inconclusive
(CALD4、ケンブリッジ)
–
【発音】 –kənklúːsiv
【音節】 con-clu-sive (3音節)
軒並み1文語釈で、反意語(opposite 、opp.)も一致。
“inconclusive” は、否定の接頭辞 “in“「不・非・無(not)」を
“conclusive“ に加えたもの。
【発音】 ìnkənklúːsiv
【音節】 in-con-clu-sive (4音節)
「決定的」「最終的」を否定するので、
「決定的でない」「最終的でない」の意。
先述の通り、”conclusive” は語源に沿う。
多義ではなく、反意語の意味もシンプル。
次の5つは頻出の言い回し。
辞書にもメディア報道にも、判で押したように出てくる。
-
a conclusive argument
(決定的な論拠) -
conclusive evidence
(決定的な証拠) -
conclusive findings
(決定的な調査結果)
-
a conclusive proof
(決定的な証拠)
-
conclusive results
(最終的な結果)
それぞれ「be動詞」(下線部)で言い換えた例は、
- “I don’t think this argument is conclusive.”
(この論拠が決定的とは私は思わない。)
– - ”The DNA evidence was conclusive.”
(DNA証拠は決定的だった。)
–
- “New findings are conclusive.”
(新たな調査結果は決定的である。)
–
- “The proof has been conclusive.”
(証拠は決定的とされた。)
– - “The test results were conclusive.”
(テスト結果は最終的なものだった。)
※ 「be動詞」 = be、am、was、been、will be、is、were、are
反発買いまくった英語民間試験は、さしずめこんな具合かも。
- “No one seems to be sure whether the outsourcing
of English tests would be a conclusive solution to
Japan’s English-language education system.”